お酒の世界では、ヴィンテージと言う言葉は単に蒸留された年号を表す場合と、古くて優れていると言う意味で用いられる場合とがある。ウイスキーにはワインのような、ぶどうの豊作年のヴィンテージと言ったものに類する意味合いは少なく、ワインほど重要視はされていない。しかし、形式的な、あるいは格調高く見せるためだけの無意味な表示なのかと言うと、まんざらそうでもないのだ。蒸留所のオーナーが替わった際に、ウイスキーの味が変わってしまうと言うのは良くあるパターンだ。また、例えば同じ蒸留所で造られたシングル・モルト・ウイスキーでも、昔のものと現在のものとを比べると、残念なことだが、明らかに昔のものの方がおいしいと言ったケースが時折ある。ブレンデッド・ウイスキーに関しても、無論同じことが言える。

 原因のひとつには、1970年代以降に盛んになった、資本の大きな企業による蒸留所の買収が挙げられる。傘下に入った蒸留所に対して親会社が強いた、原酒生産のコントロールや生産効率の向上化が、結果的に味を変えてしまったのだ。蒸留所は、資本をひとたび外に求めてしまったら、そのスポンサーの言いなりに成らざるを得ない。言い付かる条件等はケース・バイ・ケースだろうが、多かれ少なかれ、親会社が用意した鋳型にはめられてしまうことになる。そのために多くの蒸留所では、各々の蒸留所の個性でもあった独自の製法や味に対するこだわりを、例え部分的ではあるにせよ、余儀なく捨てさせられてしまったのである。

 蒸留所が大事にしている‘こだわり’の中には、思い込みだけのまったく無意味なことや、あるいはかつては意味を成していたが、現代においては形骸化してしまい、儀式的な意味しか持たないことなどもあるだろう。しかし、例えば余りにも間接的過ぎて、因果関係が認知できないファクターが存在する可能性は否定できない。また熟成と言ったプロセスには、人智の及ばない領域が存在することも事実だ。熟成過程のメカニズムには、いまだに解明されていない点が多く残されているのである。例えば、同形で同類の樽において熟成されたのにもかかわらず、樽ごとのウィスキーの味が微妙に変わってしまうことは、この業界では常識だ。現在のテクノロジーでは、熟成を完璧にコントロールすることは不可能なのである。だからこそ、蒸留所が経験を踏まえて永年培ってきたノウハウに対しては、できる限り慎重な対応を望みたいものだ。風味の微妙な変化には、思いも掛けない事由が存在するかもしれないからである。

 そぎ取られた個性を、クオリティの一部とみなすかどうかは、各自の主観的な判断に委ねるとしよう。酒質は確かに洗練されたかもしれない。しかし、かつてのシングル・モルト・ウイスキーの、あたかも飲み手に対して勝負を挑むかのような、やんちゃぶりを惜しむ声は多い。何者に対しても媚びることなく、また一切の妥協を許さない野放図な酒、シングル・モルト。そんな昔ながらのイメージが、薄らぎつつあることは残念だ。

 1960年代以前のヴィンテージに対する盲目的な賞賛は、決して誉められたことではないが、ウイスキー業界の歴史的な時代背景を知っておくことも損にはならないはずだ。だから誤解はしないで欲しい。1960年代以前に蒸留されたものが全ておいしくて、それ以降に蒸留されたものが全ておいしくないと言っている訳ではない。あくまでも、総じてそうした傾向があると言うことだ。当ページのテイスティングの結果を御覧になれば、その点は納得して頂けるだろう。

 ともあれ、現在我々が飲むことのできるウイスキーの多くは、1980年代以降に蒸留されたものであることは事実である。どうしても1960年代以前のヴィンテージ・ウイスキーを飲んでみたいと言う貴方は、是非探してみよう。とにかく情報を集め、足を使い、探し回ることだ。国内だけでは駄目である。インターネット等を利用すれば、海外の情報でも容易に得ることができるのだから、これを利用しない手はない。当ページのリンク集も大いに活用して欲しい。苦労して見つけた酒であれば、美味しさもまたひとしおだろう。手に入れづらいヴィンテージ・ウイスキーを探すことは、宝探しのようでもありそれ自体が楽しいのだ。


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